まず『一歩』を踏み出すこと
よく、自分は何をしたいのかわからないとか、何もすることがないとかいう人に会う。
そういう人は、たいてい受け身の人である。
遠くにあるものばかり見て、近くにあって自分のできることを見ようとしない。
それでは、なぜ遠くにあるものばかり見て、近くにあるものを見ようとしないのであろうか。
それは、その人が自己中心的で幼稚で受け身で、うぬぼれているからである。
自分は何か立派なこと、偉大なことをしなければならないと、そういう人は思っている。
小さなこと、日常的なこと、そんなことは自分の理想的な自我にとってはふさわしくないと思っているのである。
近くにあることをきちんとやることができないのは、その人が自己愛におかされていて、他者を愛することができないからである。
自己愛におかされている者にとって、近くにあるものは自分がやるのにふさわしい水準に達していないのである。
学生時代、山に行っていた時、よくハヤメシ、ハヤキジが登山家の条件といったりしていたのを思い出す。
少々品の悪い言葉であるが、快食、快便が大切であるということである。
快眠、快食、快便などということは、近くにありすぎて自己愛にふけっている者にとっては、水準が低すぎるだろう。
しかし逆に考えてみれば、快眠も快食も快便もできない人が、遠くにあることばかり自分にふさわしいと考えていることはコッケイである。
近くにあることで、今すぐできることを馬鹿にしてはじめようとしない人は、自分が考えているほど自分は立派でも何でもないのである。
机の上をキチンと整理するのでもよい。
一日に三回空を見あげるのでもよい。
空を見あげて深呼吸をすれば健康によい。
今までより朝一時間早く起きるのでもよい。
昨日できなかったことを悔んでいるよりも、今日できることをやることである。
アメリカでニューヨークからマイアミまで歩いたお婆さんがいた。
気の遠くなるような長い徒歩旅行である。
そのお婆さんは、新聞記者のインタビューに、『はじめの一歩を踏み出すのには勇気がいらない』と答えたという。
第二歩めは、第一歩を踏み出してから考えればよい。