自分の軸は、何かに没頭すれば見つかる

一時期「自分探し」なる言葉が流行った。

期限を決めない旅に出たり、就職しないでアルバイトに身を置いて自分を探し続ける若者がたくさんいた。

いまも、いるのだ。

 

最初は、自分探しを何となくカッコいいことのように論じる風潮があった。

しかし、だんだん「それは逃げではないか」と指摘する人も出てきた。

「この仕事がつまらなく感じるのは、それをやっているのが本当の僕じゃないからだ。だから、 探しに行かなくては」と、現実から逃避しているだけではないかというのだ。

その通りだとは思うが、自分探しに走ってしまう気持ちもわからないでもない。

自分探しをしている若者は、成績がよかった人に多い。

素直に、親の期待する通りに頑張ってきたのだ。

 

いい大学を出れば、いい会社に就職できると周囲はいった。

いい就職ができれば、いい結婚ができるともいわれた。

自分もそれを疑わずにやってきたが、実際に社会に出てみると、どうやらそうではないらしい。

ここで一気に自分を見失う。

しかし、「自分を探そう」という発想をしている限り、何も見つけることなどできない。

自分はいつもそこにいる。

自分の軸がしっかりしていないからふらふらとブレて、それに気づかないだけなのだ。

 

「明日、何をすべきかわからない人は不幸である」

自分探しを続けている人の人生は幸福ではないだろう。

だから、また「こんなはずではない」と自分を探し始める。

それの繰り返しとなる。

 

私たちは、目の前にあることを一つひとつやっていくしかない。

以前、テレビで職人の技を競う番組が放映されていた。

どの職人も素晴らしかったが、とくにある左官の青年には感動した。

彼は、まったく筋の入らない滑らかな壁を塗ることに没頭している。

途中で失敗しやり直すことが重なっても決して投げ出さない。

「やり遂げなければいけないし、やっていれば必ずできる」という。

そして、何時間も格闘して、本当に芸術的な壁に仕上げた。

 

一つは足元をしっかり見ることだが、それだけではいけない。

ときに、思い切り離れて客観的に自分を眺めてみることが必要だ。

なまじ、半端に近いところから見ようとするから、寄り目になってブレて見える。

離れるなら、思い切り離れることだ。

遠くから、「本当に自分軸で立っているか?」とチェックしてみる。

その自分の姿をしっかり見ればいいのであって、探す必要などないのである。