人の「器量」は遊び方でわかる
年をとってから魅力が増す人がいる。
老いてから人間として深みのある味をかもし出すのは、若いときにどれだけ遊んでいたかによるといえるかもしれない。
遊びといっても、ただの時間の浪費や暇つぶしではない。
大人には大人らしいカッコイイ遊び方があるのだ。
カッコイイ遊びは、人間の器を大きくする。
たとえば、仕事オンリーの人を考えてみよう。
仕事は人間の中身をつくるというが、仕事オンリーの人間は、正しいことしか書かれていない教科書のようなものだ。
どこか息苦しくて面白くない。
役に立つかもしれないが、退屈ともいえる。
つまり、魅力に欠けるのだ。
一方、遊び上手な人、趣味が豊かな人は、独自のスタンスを持っていて、時間に追われないゆとりを感じさせる。
懐が深いのである。
遊びは人生を磨くと考え、大いに大人の遊びをするべきである。
ただ、大人の遊びにはルールがある。
なんでもいいから遊べばいいと思っていては、暴走高齢者になってしまうから要注意だ。
「これでは周囲の人は困るだろうな」と思われるような高齢者がいる。
そういった高齢者は次第に孤独になっていくのだが、本人にはその理由がよくわかっていないから悲劇となる。
このような人は、若いときに本当の意味での大人の遊びをしてこなかったのだなと、同情を禁じ得ない。
では、大人の遊びにはどんなルールがあるのだろうか。
まず、遊びはしょせん遊びと割り切ることだ。
つまり、のめり込まない、入れこまないことが条件となる。
真面目な人ほど、遊びにも真面目に取り組んでしまう傾向がある。
そのため、勝敗や優劣にこだわってしまうのだ。
これでは「遊び」に「遊び心」がないだろう。
遊びに関しては、結果が良くても悪くても、こだわりを残さずにあっさりと引く。
引き際のさりげなきが、お酒落だと心得よう。
次は、自腹を切ること。
接待ゴルフや接待旅行など、接待されて当然といった態度では品性を疑われる。
他人のカネで遊んで恥を感じないのでは、卑しさだけが目につくだろう。
趣味や遊びにかけるお金は自分を磨く自己投資である。
このような経費をケチる分、魅力も目減りしていると考えて間違いない。
その点、女性は自己投資を惜しまない。
若いうちから趣味や習い事に精を出し、旅行や文化活動も積極的にしている。
「しょせんは女や子どもの手なぐさみじゃないか」などと馬鹿にしていた男性が、定年後にすっかり元気をなくすのに比べ、女性は元気に楽しく老後を送っている人が多い。
それを見れば、遊びへの投資効果は抜群だとわかるだろう。
自分を磨くのだから、お金を惜しんではいけない。
また、遊びの場だからといって、自分が言ったこと、やったことに責任を取らないのはルール以前の問題である。
社会人として失格だろう。
とにかく大人遊びは、「媚びない、群れない、こだわらない、ケチらない」をモットーにして、大いに楽しんでほしいものだ。