「いいかげん」も使いようによっては必要だ!

完璧主義な潔癖な性格など、まじめな人間は鬱にとらわれやすく、その行為には共通項がある。

自分に課せられた責任や義務を、完壁にこなさなければいけない、という思いが強いのだ。

仕事にもソツがないし、上司の信頼も厚い、できるビジネスマンの典型といったタイプなのだが、周囲の期待につねに100パーセント応えようとするあまり、時に責任感や義務感、期待感に押しつぶされ、心晴れぬ状態に陥るのである。

充実感を感じていたはずの仕事に集中できなくなり、会社に向かうのでさえおっくうがるようになっては、これはもう彰の初期症状だ。

人間は、完壁主義で生きる必要はない。

ハンドルに遊びがあるからこそ、車の運転がスムーズにいくように、人生も適度の遊びや、いいかげんさがあって、はじめて歩みも楽しく、ゆとりあるものになるのである。

 

いいかげんさがもたらす柔軟さやおおらかさは、夢から脱出する妙薬だ。

「ま、いいか」主義を少し取り入れてみると、ふさいでいた心に一陣の清風が流れ込むだろう。

 

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他人に甘くすることで自分も救われる

他人に厳しく、自分には甘い人がいる。部下のミスは容赦なく責め立て、怒鳴り散らすのに、自分の失敗には知らんふりする手合いだ。

自己保身の権化のようなタイプというわけだが、その心には、自信のなさが渦巻いている。

他人に必要以上に厳しくするのも、自信が持てない自分を見透かされるのが怖いからだ。

つねに強権を発動していないと「バカにされないだろうか」と、不安でたまらなくなるのだ。

その不安を糊塗するために、どうでもいいようなささいなことをあげつらう。

だが、責めているのは他人ではなく、実は自分。

人にバカにされそうな、自信のない自分が許せないのである。

部下につらくあたるのは、まさにその裏返しといっていい。

これではいつまでたっても自信など生まれようもないし、人間がますます小さくなる。

まずは他人に寛大になることだ。

仕事にミスはつきものなんだから、みんなでカバーすればいい。

そんなふうに考えれば腹もすわり、自分を許せないという気持ちもなくなる。

他人に寛大であれば自分にも寛大になれるのである。

 

「こんな日があってもいいさ」と許す

「人間とはこうあるべき」と仕事に手を抜かず、こうと思ったら突き進み、自分を厳しく律して生きる人がいる。

その周囲には「威圧的オーラ」が渦巻く。

「キミもこう生きるべきじゃないのか」とでも言われかねない雰囲気が漂うこの人物を、人は「偉いなあ」とは思っても、積極的には近づこうとはしないものだ。

実際、自分に厳しい人は周囲にも厳しい日を向ける傾向が強い。

「まっ、いいか」「なんとかなるでしょう」と肩の力を抜いたとたん、ビシッと鋭い視線が飛んできそうである。

これでは周囲の人はたまったものではない。

好意的に見れば、たるんだ空気にピリッとした緊張を与えているわけだが、逆にいえば、堅苦しく、息もつけない雰囲気をつくっているのである。

たまには自分を甘やかしてみることも必要ではないか。

「こんな日があってもいいさ」と自分にも人にも寛容になるのだ。

自分を律してばかりでは疲れるし、人に厳しければ誰も近づいてこない。

ほどほどに甘く、そこそこに厳しく、がいちばんいいのである。