心と体の老いを「思いきり楽しむ」

40代といえば、働き盛りの代名詞だ。

元気で活力にあふれた毎日を過ごすイメージが定着している年代だが、実際に40歳を過ぎてみると、そのイメージと実像の差に戸惑うこともしばしばあるのではないか。

アンケートによれば、40代が 「自分も年をとったな」と感じる瞬間の第一位は「白髪が増えた」だという。

第二位は「目や肩、ヒザが痛くなる」、第三位は「人の名前をすぐに忘れる」だそうだ。

 

このほかにも「ダイエットしても体重が減りにくい」「スポーツをした後の筋肉痛が遅れてやってくる」「若いタレントの名前が覚えられない」「徹夜で遊べなくなった」など、さまざまな場面で体力や気力の衰えに気づかされるのも、40代の大きな特徴といえる。

しかし、こうした肉体的老化にともなう体の変化はごく自然なことだから、いちいち20~30代といまを比べて、ため息をついても仕方がない。

否応なしにやってくる加齢の影響があったとしても、それをどう考えるかが40代を上手に乗り越えるためのカギなのだ。

もちろん、年齢に応じて体力が落ちたり、それまでできたことがうまくできなくなったりするのは誰にでもあるが、大切なのはそれを気に病まず、自然に受け入れることだろう。

 

たとえば、40歳を過ぎればそろ老眼が進んで、老眼鏡なしでは本や新聞が読みにくくなってくるが、「まだまだ自分は大丈夫」と眼鏡を拒否していると、かえってドライアイや眼精疲労が強まることもある。

つまり、老いを頑なに否定するのではなく、物理的な老化を認めながら、いろいろな知恵や技術を取り入れて快適な毎日を過ごすことこそ、40歳から求められる生き方ではないだろうか。

もし、何か思い通りにいかないことがあっても、「なるほど、これが老化というものか。それならじっくり観察してみよう」と、余裕を持って受け止められたら、それがベストである。

そして、自分自身のコンディションに応じて、無理なく生きるのが、次の年代を生き抜くための基礎づくりにもなるのだ。

 

一般的に「老化」は、「○○ができなくなった」と喪失感(そうしつかん)や悲壮感(ひそうかん)をともなう言葉で表現されがちだが、何かができなくなるのも何かができるようになるのも、「変化」には変わりがない。

だからこそ、あえてネガティブな感情をポジティブに切り替えてほしいのだ。

 

たとえば、「もう派手なデザインの服は着られなくなった」と感じたら「最近はシックなデザインが似合うようになってきた」と口に出してみよう。

また、新聞の字が見えにくくなってきたら、「近くの字が見えなくなってきた」ではなく、「少し離すとよく見えるようになった」と言い換えてみよう。

事実は変わらなくても、気持ちが違うのではないだろうか。

さまざまな表現で言い換えがきくのが日本語の素晴らしいところである。