役に立たないものが「役に立つ」

なんとか自分の時間ができた。

ところが「さて、何をして遊ぼうか 」と、悩んでしまう人がいる。

そんな人は、かなり仕事中毒になっている可能性がある。

 

あれこれ悩まず、なんでもいいから趣味や遊びの世界に首をつっこんでみることだ。

40の手習いでも全然かまわない。

演劇や音楽や絵画を鑑賞する、実際に楽器を演奏してみる、絵筆をとって絵を描いてみる、または短歌や俳句を書いてみる。

釣りやスイミング、テニスなどスポーツをするのもいいし、異分野の人たちとの交流に励んでみるのもいい。

 

基本は、自分が「面白そうだ」「やってみたい」と思ったことに、とりあえず手を出してみるのである。

せっかく捻出した時間なので、仕事に役立つ資格の勉強にあてるのもいいだろう。

しかし、それでは仕事の延長になってしまい、幅が広がるとは思えない。

ここで一度「役に立つ」「役に立たない」という価値基準をはずして考えてはどうだろうか。

 

ニュートリノの観測でノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊さんは、受賞時のインタビューで「ニュートリノは何の役に立つのですか?」という質問に対して「何の役にも立ちません」と即座に答えた。

役に立つものにしか価値を見出さないという頭に縛られていては、人生は楽しく生きられない。

なんでも見てやろう、やってやろうという好奇心が、世界を広げることになる。

役に立たないものに時間を使うなど一見無駄に見えるが、その無駄をどんどん蓄積していくことが、後半生への貯金を増やしていくことになるのだ。

 

アフターファイブに趣味や習い事に精を出している女性のほうが、それに気づいているようだ。

退社後、お決まりのように居酒屋で愚痴の言い合いをしていると、定年後は「つまらない人」と誰からも相手にきれなくなるかもしれない。

脂ののっている忙しい時期だからこそ、役に立たないものに目を向けてほしい。

役に立たないものが「遊び心」を育てるのである。