金で買える幸せは買ったほうがいい
バブルも不況も関係なくブランド人気は根強い。
外資系の高級ブランド店は、開店前から行列ができるほど、売れに売れまくって業績を伸ばしている。
そういうことがテレビや新聞などで派手に報道される。
こういう話を聞くと「あるところにはあるんだなあ」という人がいるが、それは読みが浅い。
むろん金持ちも買っているだろうが、売れ行きの中心になって支えているのは、普通のOLたちだ。
なかには買い物中毒、プランドマニアのOLもいるだろうが、たいていはみんながもっているから私も一つくらいもちたいという動機で、なけなしの金をはたいている女性たちだ。
したがって買えるのは財布やバッグのたぐいである。
それでいて家ではインスタントラーメンなんかすすっているに違いない。
もう一つ、女にせがまれて下心から買ってやる男たちもいるだろう。
ブランド景気はこういう重層的な購買者によって成り立っている。
といって、私はブランド品を買う人たちを軽蔑するつもりはない。
それどころか大いに結構と思っている。
ブランド品を買う心。
それは商品がもつ効用ではない。
「ブランド品をもっている」という幸福感のために買うのである。
よく「幸せは金で買えない」とか「金で買えるような幸せは本当の意味での幸せではない」といったことをいう人がいる。
そういう人のいう幸せとは、きっとそういう性質のものなのだろうが、お金で買える幸せだってある。
そういう幸せを求める人はどんどん買えばいいのだ。
基本的に貯蓄好きな日本人は、お金を使うことに及び腰である。
そして倹約、節約する人をほめたたえる。
最近はちょっとした節約プームで、パンの耳をどう利用するかとか、袋につめ放題の達人のノウハウなどというのが、大げさに公開されている。
しかし、そんなに貯めてどうするのか。
「愚か者は金をもって死んでいくために貧乏で暮らす」という名言があるが、日本人はいままさにこれを地でいっているのではないか。
日本国民の金融資産が1400兆円もあって、よほど努力するか怠けない限り飢え死にするのが難しいという国のみんなが「不況だ、失業だ、老後が心配だ」と絶えず暗い顔をしている。
南米のチリかブラジルだったら、毎日毎晩飲めや歌えやの忘年会状態だろう。
人生は生きているうちに楽しまなくては意味がない。
死んでから棺桶に貯めたお金を入れてもらっても、別に骨がこんがり焼けるわけでもない。
タンス預金はそれ自体が趣味のようなもので楽しいというが、みんながそうでは経済が回らない。
私がこんなことをいうのは、節約病、貯金病は予想外に広い年代層にまで伝染しているからだ。
現在50代後半以上の人たちは、お金で苦労した経験をもっているので、アツモノに懲りてナマスを吹く傾向があっても仕方がない。
しかし、20代、30代の若い層は、あまり金銭の苦労を知らないで育ってきているので、もう少しお金を使うことにおおらかかと思っていたら、先日、20代後半の月給三〇万円の独身OLが「貯金のつもり」で月6万円の保険に入っているのを知って驚いた。
さすがに専門家から「多すぎますよ」と指摘されていたが、こんな人間ばかりでは、世の中は活性化しない。
そのことを誰かがしっかりと教える必要がある。
節約マニアの主婦にしたってそうだ。
四六時中、節約のことを考えて何が楽しいのだろうか。
「好きなんです」といわれれば返す言葉がないが、私はそんなことに頭を使うより、もっと他のことに使いたい。
知り合いの若い歯医者の青年は、仕事は熱心だがキャバクラ大好き人間である。
それで奥さんと年中もめているが、彼は私にこういった。
「歯医者というのは、結構ハードな仕事でしてね。そのまま家に帰ると気持ちの整理ができない。キャバクラでバカいって息抜きするから、次の日も元気で働けるんです」
「金は鋳造された自由である」という言葉がある。
歯医者の青年は仕事からの解放、家庭からの解放のひとときをキャバクラで得ている。
もし彼からその機会を取り上げてしまったら、また別の方法を見つけるか、ストレスで別の問題を起こすかだろう。
それを考えれば彼も彼の家族もお金で幸せを買っているのだ。
こういう幸せは確かに次元が高いとはいえない。
だが、お金はいつもいつも次元の低いことにしか使えないかというとそんなことはない。
ロシアの作家ドストエフスキーは「金銭とはとるに足らない人物をも第一の地位に導いてくれる唯一の道である」ということをいっている。
お金は人を成長させることもあるということだ。
ドストエフスキー自身が親の遺産を手に入れたとき、それを浪費した人間だ。
賭博もやった。彼はその経験を通じて、お金を使うことが人を成長させることを身をもって学んだのだろう。
貯め込んで使わなければ、お金は量的な存在でしかない。
量の多さ自体に意味がないわけではないが、使ってはじめて生きる価値もあるということ。
中高年の時期にお金をある程度使うクセをつけておかないと、先へいっても使えなくなる。
そうなったらもう手遅れ。
自分にとっては賞味期限切れになり、他人の手に委ねなければならなくなるのがお金なのだ。