「会話がはずむ」のは、 話し上手より聞き上手

あの人といるときはいろいろおしゃべりするのに、別の人といるときは会話がまったくといっっていいほど進まない、という経験をしたことがないだろうか。

こんなことまで言っていいのだろうかと、つい口をすべらせてしまうときには、相手に乗せられてそうなってしまったということが多いものだ。

しかし、そんなときには、そうして口をすべらせてもあまり後悔はないものである。

つい乗せられてしまったという感じを抱くだけだ。

これは、自分が結局、相手のペースにはめられて、つい口を滑らせるような状況にはまってしまったからであろう。

要するに、相手が話題の持ちかけ方がうまくて、その術中にはまってしまったのである。

 

他人と親しくなるためには会話というコミュニケーションが必要だが、相手が黙ってばかりいてはコミュニケーションのとっかかりがつかめない。

相手に気分よく、いろいろなことをおしゃべりしてもらったときに、はじめて相手の本意を知ることができるし、また、相手と好意を振り向けあう関係になれる。

つまり、聞きだし方がうまくなければ、よいおしゃべりはできない。

だから、会話の進まない人と話をするときは、こちらから何か働きかける必要がある。

このとき、言葉巧みにいろいろな話題を次々と振ったり質問攻めにしても、あまりいい結果が出ないことが多い。

懸命に多くの言葉を費やして話しかけようとするよりも、できるだけ相手にしゃべる機会を与え、それに対して、じっくり耳を傾けるほうが会話がうまくいくことが多い。

要するに、話し上手になるよりは、聞き上手になれということだ。

誰でも、自分の意見に熱心に耳を傾けてくれる人と一緒にいると、ついつい饒舌(じょうぜつ:口数が多い)になり、気分よく話し込んでしまうものである。

 

では、どうしたら聞き上手になれるのだろうか。

その基本は、会話の最中に、相手がしている話を自分が理解しているという「手応え」を与えることだと思う。

講演など大勢の人の前で話をするときに誰もが経験することだが、何も反応を示さない聴衆を相手に話を続けることほどやりにくいものはない。

途中で適度に相槌を打ってくれたり、おかしいところでは笑ってくれると、話すほうもぐっと張り合いが出てくる。

一対一の会話もこれと同じで、相槌を打ったり、ときには身を乗り出したり、笑い声をあげたり、「それで?」 「どうしたの?」 「なるほど」 「ほう」といった合いの手を入れてくれると、気分よく話をすることができる。

相手の話を聞きながら相槌や合いの手を入れると、なぜ相手がよくしゃべってくれるかといえば、そうしたしぐさや言葉が相手をいい気分にさせ、もっと話をしたいという気分にさせるからだ。

 

下手な話し手ほど聞き方が下手だ。

相手の言うことに耳を傾けるよりも、相手に何か返事を返してやらねばならないという意識が先に立っているから、自分の意見などよけいなことを挟み込んでしまう。

話の腰を折ってしまうのである。

そのため、相手がせっかく話しかけていたのに、しゃべり続ける気力を失ってしまう。

聞くと話すが、どのくらいの割合なら会話が促進されるかといえば、これは「聞くを七分、話すを三分」といわれている。

厳密にはできそうもないが、ともかく、自分で話したいという欲求をできるだけ抑え、耳を傾ける回数を意識して多くすることではなかろうか。