「孤独が好き」と言う人は、本当の孤独をまるで知らない
人間嫌いの人は、人づき合いをしなくてすんだらどんなにかいいだろうと思うかもしれない。
会社の人間関係にイヤケがさして、山小屋にでもひとり閉じ込もり、好きな本を読みながら自活するような生活に憧れるかもしれないけれども、その憧れの生活を実現したら、今度は孤独というストレスがおそってくる。
これは全ストレス中でも最大級のストレスだ。
たいていの人は経験したことがないから知らないだけである。
以前、孤独のストレス度を調べるため、アメリカのある大学で、次のような実験が行なわれた。
内閉性の極端に強い学生をたったひとりで密室に閉じ込めておいた。
食べ物と水はある。
しばらく観察していると、その学生は、まずブツブツ独り言をいいはじめ、やがて歌をうたいだした。
そして心理的な限界に達し、「助けて」のボタンを押して出てきたときの、その第一声は、「誰でもいい、話をしたい」だったという。
孤独を愛する人でも、「真の孤独」には耐えられないのだ。
何事にせよ、極端はよくない。
極端に人に合わせすぎるのも、極端に孤独なのもストレスになる。
しかし、孤独からくるストレスに比べたら、会社の人間関係などまだマシなほうだ。
一度、孤独を味わうと、煩わしい人間関係がありがたいものに思えてくるだろう。
誰がけしからんだとか、誰がどうしただとか、何かしら文句をいっていられるうちが一番なのだと気づくはずだ。
わたしはパーティが好きで、お呼びがかかれば万難を排して出席する。
パーティのいいところは、まず友人を見つけることができる点だ。
くつろいだパーティ会場で会った友人は、わたしの孤独感へのなによりの薬である。
どうでもよいおしゃべりくらい気分のいいものはない。
それと、パーティのもうひとつのいいところは、お酒である。
ほろ酔いがおしゃべりを推進する。
おしゃべりはストレス解消にもっともいい。