「A君、キミか?倉庫の整理を怠ったのは!」
と、まったく身に覚えがないのに、上司はとても怒っている、そんな状況に直面したことはないでしょうか。
「いえ、私じゃありません」
「ウソ、いうんじゃない!私の目は節穴じゃないんだぞ!」
と、濡れ衣を着せられ、釈明したくても聞く耳を持たず、あとになって他の人が原因だとわかっても、ひとこともあやまることもなく、
「ふだんから、しっかりやってないから、疑われるんだ」
などと、さらにおかしなことをいうのですから、たまりません。
こういう人は、「損する話し方」という問題以前に、「損する人格」ということなのでしょうが、まずカウンセリングに行かれたほうがいいかもしれません。
ところが、性格的には問題がないのに、この上司と同じような「困った人」と思われてしまったら、それこそ大損だと思いませんか。
仮に、職場の自分の机の上の、本来あるべきところに資料がなかったとしたら、みなさんならどうしますか?
机の中、机の下や隣の席との間など、とにかく身の回りを探し、最後にどこで見たかを思い出そうとしたり、車の中に置き忘れてないかと考えたり、家に電話をしたり、ともかく「自分がなくした」という前提で探すでしょう。
ところが、机の周りをちょっと探しただけで、すぐにパニックになり
「机の上に置いた資料がない!どうしたのかしら?」
と仕事場の隅まで響きそうな声で叫び、大騒ぎする人がいます。
こういう言動がアブナイのは、「誰か持っていったでしょう!」と、周りの人に聞こえてしまうことにもなりかねないところです。
もちろん、誰かのせいにしたいわけではないのでしょうが、そう聞こえるのです。
同僚も、自分が疑われているのかしら?
と思ったら、「一緒に探してみよう」という気にもなりませんね。
そして、さんざん大騒ぎした結果、鞄の中から出てきて、「ああ、よかった」のひとことで終わりです。
周りの人は、何か「疑われ損」をしたような割り切れないものが残ります。
こういう人は、同じことを繰り返しますから、いつか本当に誰かが持っていってしまったときでも、「どうせ、自分でどこかに置き忘れたんだろう。だらしないなぁ」
と思われ、関心を持たれなくなってしまいます。
これとは逆に、大した探し物でもないのに、周りのみんなが手を貸してくれる人もいます。
どういう人かといえば、懸命に自分の周りを探し、記憶をたどってみてもダメで、どうしても見つからなかったら、そこで素直に協力を求める人です。
すみません、みなさん。
A4で黄色いファイルどこかで見ませんでしたか?
昨日、家に帰る前に、机の上に置いたままで出ちゃったと思うんですけど、記憶違いみたいで、見つからないんです。
もしかしたら、間違えてどこかに置いてしまったかもしれないので、すみませんが、みなさんの机の周りを探していただけませんか?」と。
人は、自分のミスを告白している人には冷たい視線は向けにくいものです。
「よし、みんな探してみようよ」といってくれる人が現れたり
「出先から帰ってきたとき、車に忘れたんじゃない?」
「鞄の中は見たかい?もう一度、確認してみたら?」
と、的を射た指摘をしてくれる人が現れたりすることもあるでしょう。
困ったときの態度ほど、人は嫌われたり、好かれたりするものです。
パニックになって大騒ぎするのではなく、謙虚な気持ちで協力を求める手法が、自分に得をもたらす話し方の基本です。
その落ち着いた態度が周りの人を安心させ、信頼感を醸成してゆくこともあります。