どんな人でも、自分の思い通りの仕事につけるとは限らない。

営業を望んだのに総務に配属されたり、開発の希望者が経理の仕事に就いたり、いろいろな思惑はずれがあるに違いない。

では、意に添わない仕事を与えられたら、どうすればいいものか。

「ちぇ、こんな仕事、やる気しないなぁ。好きな仕事につけるまで、適当に手抜きでいくか」

これも一つの選択なのかもしれない。

 

しかし、不幸を嘆き、本望の時が訪れるまでボチボチいくという選択では、望む仕事につけるチャンスは、まずやってこないだろう。

会社は「あいつ、気に入らない仕事だから手を抜いているんだな。好きな仕事だったらきっと水を得た魚のごとく、バリバリやるに違いない」などとは絶対に考えてくれないからだ。

 

確実に「ポチポチしか仕事をしない奴」というレッテルを貼られるだろう。

本望を遂げるには、いやな仕事であれ全力投球するしかないのだ。

企業のトップにも不遇時代はあったはずだが、そこで腐らず、ベストを尽くしたからこそ、現在があるのだ。

将来の試金石はつねに今。

頑張り時を見失うと人生すべてがボチボチになってしまうと肝に銘じよう。

 

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上司の評価にかかわらす誠実に働こう

競争社会にはいつも評価がともなう。

ビジネスの世界でも、評価によって昇進や降格といった人事が発動される。

となれば、評価が得られないのはつらい状況である。

実際、上司に不信感を抱く原因として、いちばんにあげられるのが「どんなに仕事をしても評価してくれない」というものだ。

確かに、はっきりと成果をあげた仕事に「よくやった」「頑張ったな」のひと言もなければ、その上司への信頼感は薄らぐ。

そんなことが重なれば「こいつの下ではやってられない」という気持ちにもなろう。

 

しかし、腐ってはいけない。

考えてみれば、年齢も、育った環境も価値観も異なる上司が、こちらの思いを確実にくみ取って、的確な評価をしてくれることのほうがレアケースなのである。

たとえば、減私奉公(めっしほうこう)が当然と考えている上司には、報告書を仕上げるための徹夜など当たり前であり、「ご苦労さん」のねぎらいにも値しないということだってあり得るのだ。

そうしたギャップをわかってしまえば、評価に一喜一憂(いっきいちゆう)しなくてすむだろう。

 

評価は自分を高める手段に

自己評価は、実は他人の評価に非常に左右されやすい。

しかし、他人の評価に左右されすぎると、自分を見失う。自分はあくまで自分でありたい。

たとえば「人の面倒見はいいほう」という自己評価が、Aさんには「おせっかい」というマイナス評価になり、Bさんには「頼りになる人」というプラス評価になったりすることがよくある。

自己評価にはプラス評価を採用したい。

 

「もっと類りになる人になろう」と自分を高める努力につながるからだ。

反対に、マイナス評価を採用すれば、「おせっかいなんて思われたらたまらない」と萎縮(いしゅく)してしまうことにもなる。

評価は、どちらに転んでも平均値は望めないものだ。

だから「そう人の評価に合わせて、自分をコントロールできないもんだ」と思うことだ。

 

その上で、ちょっとずつ「いいとこ取り」をすればいい。

「おせっかい」と「頼りになる人」のいいところを少しずついただいて「いざとなったらトコトン面倒を見る人」になる。

他人からの評価は、こんなふうに活用して自分をより高める手段にしてしまおうではないか。