「許しあえる仲」になろう
人とうまくつきあうためには、相手という存在を受け入れることだろう。
自分はふつうの人間だが、相手は特別な人間であると考えてしまうと、遠慮が出てきたり、逆に強がりが出たり、態度がぎこちないものになってしまう。
自分がふつうの人間なら、相手もふつうの人間であるというところから人づきあいは出発すべきではないかと思う。
友人や恋人になる関係は、ペアを組むことに似ている。
ペアの間では関係は対等であるべきだし、だからこそ何でも言いあえ、許しあえる仲になれる。
相手を特別な人間だと思い込むのは、相手を大事にし、美化しているとも受けとれる。
しかし、このことの弊害は、相手に対して過大な要求を突きつけがちになるということだ。
これは、相手に期待しぎることからくる。
相手を信用しているのはいいが、信用しすぎると、もし信用が裏切られた場合に落胆は強いものになり、必然的に、いずれ別れがやってくる。
自分が完壁な人間ではないように、相手も完壁な人間ではない。
だから、欠点もあれば長所もある。
そして、ときには嘘もつけば、おためごかしを言うこともある。
だが、それをすべて裏切りとか、許せない行為と責めるのは間違いだ。
一度嘘をついたから、もうつきあわないというのは、子どもじみた考え方である。
自分自身のことを振り返ってみれば、必ずやどこかで嘘をついたことがあり、状況によってはおためごかしを言ってしまったことがあるはずだ。
場合は許し、他人の場合は許さないというのはおかしいのである。
旅行先で土産物店などに入ったとき、購入したい商品の値段を聞くと、やたらに高い金額を告げられることがある。
そうしたときに、
「もっと負けてもらえませんか」
と持ちかけると、値引きに応じてくれることがある。
こうして客の値引きの要求が通ると、買ったほうとしては、「安く買った。得をした」という気分に
なる。
しかし、実際は最初からそうしたものの値段は、値切られる分をも含んだ掛け値になっていることが多く、客が安く買った、得をしたということにはなっていない。
むしろ、値引きを申し出ないと損をしてしまう場合のほうが多い。
しかし、客としては、値引き要請が通れば満足感をおほえる。
そして、店のほうも商品が売れたので満足する。
正直ばかりが世の中を動かしているわけではない。
嘘をうまくつけてこそ、世の中は正常な状態を保てるのではないか。
親しくなりたい人には、あまり完壁を求めるべきではない。
少々の弱点があっても、じっと目をつぶっていれば、いつかはそれが美点に見えることだってある。
自然な人間関係には温かさというものがあると思う。
相手の弱点や過ちを徹底的に責めないで、少しは大目にみてやる。
私は人間関係は80点満足すればいいと思っている。
100点の完壁を狙うから、不満が生まれ、相手に要求を出したくなる。
しかし、80点でいいと思えば、少々の相手のワガママも弱点も許すことができる。
いわば、我慢と譲歩がウマのあういい人間関係を持続させるのである。