Contents

どんどん二極化する「デキる人間」と「デキない人間」

どんな会社にも「仕事のデキる人」と「デキない人」がいる。

「デキる人」は、与えられた仕事をスイスイとこなすのはもちろん、何か問題が生じたときは、すぐにその解決法を見つけだし、早めに処理をしてしまう。

ほとんどの仕事は、 人の半分の時間ですませてしまうから、仕事以外の時間が多くなり、オフの過ごし方が充実している。

スポーツに汗を流したり、本を読んだり、映画を観たり。

だから、仕事以外の話題が豊富で、いろんな分野の人とつきあえる。

いっぽう、 「デキない人」は、すべての仕事が押せ押せになる。

毎日のように残業がつづき、仕事が終われば、まっすぐ家に帰って寝るだけだ。

休日は疲労困憊(ひろうこんぱい)した身体を休めるので精一杯。

自分に何かをインプットする時間がないから、アイデアもでなければ、話題もとぼ乏しい。

なにやら、かつて流行した「マルキン」「マルビ」の対比のようだが、いったい、両者の違いはどこにあるのか?

「マルキン」「マルビ」・・・お金持ちとビンボー人

最初に結論をいってしまえば、それは「頭のよさ」と「習慣」の違いによる。

仕事というものは、ルーティンワークはもちろん、まったく新しいプロジェクトを立ち上げるような場合でも、そのプロセスを細かく見ていけば「これまでやってきた仕事の積み重ね」というケースが圧倒的に多い。

目標を設定し、そのための計画を練る。

そして、根回しをしたり、他社と交渉するなどして、仕事を完成させる。

そこには、それまでまったく経験したことのない仕事というのは、めったに出現しないものだ。

つまり、そうした仕事を効率よく進めるためには、「頭のいい考え方」や「頭のいい仕事の進め方」を完全に自分のものにしておくこと、すなわち「習慣化」してしまうことが必要なのである。

 

「有能な人間」は全体の二割ほど!

「習慣化」すべき「頭のいい考え方」や「頭のいい仕事の進め方」とは、どんなものなのか?

ビジネス社会で「あの人は頭がいい」というとき、それは学生時代のように「テストの点数がいい」とか「偏差値が高い」という意味ではない。

ビジネス社会では、いわゆる「要領がいい」という意味で使われることが多く、英語でいえば 「clever」 より 「smart」のニュアンスに近い。

ただし、 「smart」 にも二種類ある。

ひとつは「book smart」 で、これは「テストの点数がよく、勉強ができる人」という意味。

もうひとつは「street smart」 で、 こちらは、学校ではなく仕事を通じて学んだ「頭のよさ」のことをいう。

つまり、私たちが通常「頭がいい」というのは、 この 「street smart」 のことを指しているわけだ。

では、「street smart」の中身を、もっと具体的にいうとどうなるか?

たとえば、経済学の世界に「パレードの法則」といわれるものがある。

いまから100年ほど前、イタリアの経済学者パレードが発見したもので、「80対20の法則」ともよばれている。

これは「国民総資産の80パーセントが、20パーセントの富裕層に集中している」というものだが、その後の研究によって、この法則はさまざまな現象にもあてはまることがわかってきた。

いわく、「会社の利益の80パーセントは、20パーセントのデキる社員が稼ぎだしている」「会社の収益の八〇パーセントは、二〇パーセントのありがたい顧客によってもたらされている」「国民全体の投資収益の80パーセントは、20パーセントの〝頭のいい”投資家が稼ぎだしている」 などなど。

さらに、この法則は、経済以外の分野にも適用されるようになり、たとえば「「超」整理
のぐちゆき
法 (中公新書)を書いた野口悠紀雄氏は、「一冊の本のなかでほんとうに重要な部分は20パーセントで、ここに80パーセントの情報が詰まっている」といっている。

こういうことを「頭のいい人」は、ほとんど感覚的につかんでいる。

本を読むときは、目次を見て、パラパラとページを繰りながら、その重要な20パーセントの部分を見つけだしてしまうから、バカ正直に最初のページから順に読んでいく人の五分の一の時間で一冊の本のだいたいの内容をつかんでしまう。

あるいは、仕事を進める場合でも、20パーセントの重要部分を押さえておけば、80パーセントの仕事はこなせると知っているから、適当なところで〝見切り発車〟ができる。

「頭のいい人」にとって、最初から100パーセントを求めることは、回り道でしかない。

それは、とても「要領の悪い」やり方なのだ。

けっきょく、一事が万事、「頭のいい人」は常に要領のいいやり方を発見して、仕事を進めていく。

だから、「頭の悪い人」とくらべると、たとえば一年後には途方もない差がついてしまうのである。

 

「どうすればもっとラクできるか?」を考え続けよ

こういうと、「なぜ、“頭のいい人”は、要領のいいやり方を感覚的につかんでいるのか?どうすれば、それがつかめるのか?」と思う人もいるだろう。

「感覚的につかめるから、〝頭がいい”のだ」といってしまってはミもフタもないから、あえてその答えを考えてみると、それはやはり日ごろの習慣による、ということがわかってくる。

どんな習慣なのか、それは、「どうすれば、もっとラクに仕事ができるか?」ということを考えつづける習慣である。

世界の自動車王といわれたアメリカのヘンリー・フォードは、子どものころから、「どうすればラクができるか?」を考えつづけた人間だった。

学生時代には、馬車から降りなくても家の門が閉められる装置をつくった。

フォード社を設立してからは、工場内に部品供給ラインをつくって、いちいち部品をとりにいかなくてもすむようにした。

さらに、工員が組み立てラインにかがみこむために疲労が蓄積し、ミスや事故につながることがわかると、すべてのラインを8センチ高くした。

トヨタの「かんばん方式」にしても、どうすれば効率的にクルマをつくることができるか、べつな言い方をすれば「どうすればラクにクルマがつくれるか?」ということを、敵して考えた結果、生みだされたものである。

つまり、「どうすればラクができるか?」というテーマは、発明や発見のもとであり、文明を進歩させる大きな推進力になってきたわけだ。

こういうと、自分はどんなに考えたところで、そんな「頭のいい方法」は発見できない、という人もいるだろう。

しかし、「頭のいい方法」は、なにも自分のオリジナルである必要はない。

だれかが実践している「頭のいい方法」のマネをすればいいのだ。

かつて、その名も『受験は要領』というベストセラーを書いた精神科医の和田秀樹氏は、灘高から東大理Ⅲに現役で合格した”秀才”だが、その本のなかで、彼は灘高について「どうすればラクに東大に合格できるかということを、生徒たちが懸命に考えているような学校だった」といっている。

灘高といえば、当時もいまも東大合格率の一、二を争う超進学校であり、世間には「天才や秀才がゴロゴロいそうな近寄りがたい学校」というイメージがある。

もちろん、そうとうという生徒もいるには違いないが、そのいっぽうで、「要領のよさ」が貴ばれる学校でもあったということである。

高二くらいまでの成績が低空飛行もいいところだったという和田氏が難関を突破できたのは、そんな要領のいい生徒たちが実践していた「〝頭のいい人”の勉強術」をマネるようになったからなのだ。