ネット上で語る前に、やるべきことがある。

私は、「いまの若いヤツらは・・・」と批判するのが嫌いだ。

自分たちも若い頃はたくさん失敗したし、間違った。

それに、いまの若い人たちには真面目で優れた部分がたくさんある。

「やるじゃないか」と感心させられることもしばしばだ。

そのうえで、「これだけはやめておけ」と伝えておきたいことがある。

インターネットの世界で、不特定多数を相手にいろいろしゃべってはいけない。

ネットに書き込みをしているとき、あなたの日の前には、当然パソコンやスマホの画面がある。

距離にして30センチくらいか。

ずいぶん狭い世界だ。

だからつい、親友にでも語りかける気分になる。

しかし、実際には地球の裏側まで届く距離がそこにはある。

 

ある女子高生が、ブログでコンビニの男性店員を批判した。

「汗っかきで、おつりをもらうのに手が触れてキモい」と書いた。

本人はあくまで、自分の日記にさらっと書いたくらいのつもりでいた。

ところが、「自意識過剰のバカ女」「お前のほうがずっとキモい」などと、思いもよらないコメントが書き込まれ、目の前が真っ暗になった。

そのブログの読者の中には彼女のことをよく思っていない同級生も含まれていたらしい。

結局、その女子高生は疑心暗鬼に陥り、登校できなくなってしまったという。

何をやっているのかと思う。

劇作家のジョンソンは、「おしゃべりと雄弁は同じではない。愚者はしゃべりまくるが賢者は話すだけだ」という言葉を残している。

不特定多数の相手は、自分は名乗らずこっそり聞いておきながら、「もっとしゃべれ」と無責任に焚きつけてくる。

丁寧にあなたの話を聞こうとする人はごく少数派だ。

だから、あなたは愚かなおしゃべり人間になってしまう。

スーパーの商品に異物を混入させるといった犯罪をネットにアップし、悦に入る人間がいる。

そんなニュースを見れば、あなたは「くだらない」と思うだろう。

そんなヤツとは一切関わりを持ちたくないとも思う。

しかし、そうした人たちとも同じ距離の中に入っているのがインターネットだ。

そこを心しておかないと、いつの間にか自分もくだらない人間になってしまう。

また、インターネットでペラペ ラ語ることは、自分自身への距離感も失う。本当の

自分と演じている自分の境がわからなくなる。

フェイスブックで「カッコいい俺」を演出してみても、それは現実の自分とは違う。

 

最近、「メンヘラ」というネットスラングがよく使われる。

一口にいえば精神的に病んでいる人のことだが、とくにネット上に自分の「メンタルヘルス」について書き込み、かまってもらおうとする人のことを指すらしい。

「いまから睡眠薬飲むところ」

「もう何度もリストカットしちゃって」

などとネガティプなことをつぶやく。

そして、コメントを書き込んでくれる人間がいれば、その人も巻き込んでさらにネガティブな世界に浸る。

面倒くさいこと、はなはだしい。

本人はドラマティックにやっているつもりかもしれないが、実際にはまったくドラマは成立していない。

リアルな人間は誰一人登場していないのだ。

そこで、一方的に自分の情報をまき散らしていることに、いい加減、危機感を持つべきだ。

 

インターネットの怖いところは、一度アップした記事は完全には消せないことだ。

個人情報保護の観点から、欧米を皮切りに「忘れられる権利」が論じられるようになった。

いずれ法律も整うだろう。

しかし、いかに過去の記事を削除してみたところで人々の記憶まで消すことはできない。

もっとリアルな人間関係に目を向けてほしい。

ネットには、近くにいるのに遠いフリをしたり、遠くにいるのに近いフリをして無責任な発言をする人がたくさんいる。

そんな関係に頼らずに、きちんと距離感がつかめるリアルな相手と対峙したいものだ。