プライベートの話題は、うかつに踏み込むな
知人が遊びに来たので、「軽く一杯やろう」と二人で仕事場近くの居酒屋に寄った。
隣のテーブルには、サラリーマン四人組が座っていた。
一人が「チーフ」と呼ばれている。
そのほかは部下らしい。
一人の部下が、焼酎のボトルからせっせと水割りをつくってチーフに渡している。
チーフはそれを受け取って飲むばかり。
ご機嫌でいろいろと講釈を垂れている。
部下たちは、おとなしく話を聞いている。
ここまでなら、ざらにある光景だ。
驚いたのは、彼らが会計をきれいに割り勘にしたことである。
部下たちはもちろん気の毒だが、このチーフもかわいそうな人だと思った。
私が会社に勤めていたとき、ある部署に部下から大変に慕われている上司がいた。
その上司は、部下と飲みに行っても最後までいることはなかった。
「勘定は払っておいたから、ゆっくり飲んでいけよ」
こういって、自分は先に帰っていく。
いくら好きな上司でも、ずっと一緒にいたら煙たいし、部下はリラックスして飲めない。
彼はそれを知っていたのである。
こういうことができる上司が、いまは減ってしまった。
先のチーフも、全額出せとはいわないが、割り勘はないのではないか。
おそらく距離感の切り替えができていないのだ。
会社を出たときから、プライベートな場に移行していることに気づいていない。
私は、自分より下の人間に対しては、プライベートなことは抽象的に、仕事においては具体的につきあうべきだと思っている。
たとえば、忘年会でお酒が入り、プライベートな話題になった。
そのときに、何も話さないのでは距離は縮まらないから、差し障りのない話題は提供する。
「いつも、かみさんには絞られてるよ」
「うちの娘は派手好きでね」
このくらいは話してもいい。
しかし、どう紋られているかとか、どんなふうに派手なのかなど、そこまで具体的に話してはいけない。
これが大人の心得というものだ。
その理由は二つある。
一つは「口から出たことは独り歩きする」からだ。
あれこれ尾ひれがつくようなことは、いうべきではない。
もう一つは、上司が具体的に話せば、部下もそうせざるを得なくなるからだ。
自分のプライベートについて、上司に細かく知られることを望む部下などいない。
とくにいまの若者たちはそうだ。
「休日は何かスポーツでもしているのかい?」くらいは聞いてもいいが、その答えに対して具体的な質問を重ねるのは避けたい。
面倒見がいい上司は、ときとしてここを間違って、プライベートでも部下に近づきすぎる。
距離感をはき違えているのだ。
あまり面倒見がいいというのも考えものなのである。
それより逆に、仕事については具体的に話してあげるのがいい。
「いま、○○君のやっている仕事は、方向として間違っていないよ」
「○○社は、ちょっと問題があるから、あまり出入りしないほうがいいぞ」
「あの部長とは、仕事を離れてもつきあうことをすすめるね」
「この本、役に立つと思うから読んでみたらどうだ」
こうしたことを具体的に伝えてあげられる上司は、部下から好かれ信頼される。
ただし、具体的とは「細かい」ことではない。
大事なポイントだけを押さえてあげればいい。
「塩の辛さ、砂糖の甘さは学問では理解できない。だが、なめてみればすぐわかる」
とは松下幸之助の言葉だ。
細かいことをいわなくても、具体的に味をみさせてあげる。
そういうことを、若い人たちに対してさりげなくできたら理想的である。