そんな失敗、どこにだって転がっている話ではないか
ある作家が、読者から次のような質問を受けたことがある。
「原稿を書き終わって出版社に渡すとき、いつも満足のいく作品だとはかぎらないでしょう?駄作とわかって渡すこともあると思うんですが、それで何日くらい悩みますか」
その作家は「数分ですよ」と答えて、その人からびっくりされた。
なぜ、そんなにすぐ忘れることができるかわからないというのである。
今度は作家のほうがびっくりした。
いつもいつも完壁にできるわけもないのに、失敗だ、駄作だと何十日も反省したってしかたがないではないか。
「どんな人でも失敗はします。そのことでクヨクヨと何カ月も落ち込んでいたら次の作品は書けません。作品が書けなかったら作家生命は絶たれてしまいます。そんなとき、わたしが考えるのは、もう原稿は渡してしまったんだし、結局、読者は読むんだし、それだけしか書けなかったんだし、という具合にあっさりあきらめるんですよ」
絶対に失敗しない人間もいないし、いつもうまくできる人間もいない。
しかし、そこでクヨクヨして次の行動がなかなかできない人と、「次はもっとうまくやろう」と失敗を原動力にしていく人がいる。
ここが分岐点だ。
クヨクヨしても何も始まらない。
反省は休み休みにすべし、だ。
「こんな仕事はおれには重荷だ」
「みんなおれのことを無能だと思っているに違いない」
こんな言葉を胸のうちでつぶやいたことのない人はいないだろう。
自分から見たら他人はみんな自信満々に見える。
しかし、どんなに「すごい」と思える人でも、決して自分のことを完壁とは考えていない。
やはり、「あそこはああすればよかった」「ここは失敗した」と思っているのである。
逆に、こう考えてみるといいかもしれない。
完全でもなんでもないひとりの人間が、自分の理想どおりにやれなくたって、あたりまえのことだ。
こんな失敗、どこにでも転がっている話ではないか。
「自分だけではない。それで世界が終わるわけでもない」