煙たい人を自分のまわりに置く
誰でも自分が避けたいと思っている人は何人かいる。
そのような人が毎日の仕事の場にいたら最悪だ。
事あるごとに皮肉をいったり嫌味をいったりする、人前であからさまに批判したり非難したりする。
自分がいったことや、したことに対して、常にネガティブなことをいうので、気分が晴れることはない。
相手によっては、喧嘩腰になって対決することもできるが、絶えず怒るわけにもいかないので、黙って我慢することが多くなる。
もちろん、相手が上司や目上であるときは、少しくらいのことであったら、いちいち反抗することもできない。
つい泣き寝入りをする結果になる。
しかしながら、嫌がらせという色彩が濃厚で、いわゆるハラスメントのカテゴリーに入ってくるときは、その点を明確に指摘して黒日をつけておくべきである。
できるだけ早い時点で問題にしておいたほうがよい。
加害者も無意識でしている場合が多く、そうすれば指摘するだけで問題が解決する。
知らず知らずのうちにずっと続けられたりエスカレートしていったりすると、最悪の事態になる。
被害の程度が大きくなるので、 表沙汰にもなり訴訟にまでも発展していく可能性がある。
そうなると、加害者も被害者も共に傷ついてしまう。
嫌がらせをされたり嫌味をいわれたりするのは、自分にもどこかに隙があるからだ。
そこに相手が付け入ってくるのである。
毅然(きぜん)たる態度を堅持していれば、相手も攻めようがない。
それに、自分も相手が何か不愉快に思うような言動をしているから、手が否定的な反応を示すのである。
したがって、自分自身をまず反省してみる必要がある。しかし、自分自身のこととなると、無意識のうちにひいき目に見るので、自分の悪いところはわからないものだ。
そこで、周囲の人に対して、自分の言動を観察したところを遠慮なくいってくれるように依頼してみる。
自分が気がついていないことで、人に不快な思いをさせたり人を傷つけたりしている場合が多いことを知る。
この点に関しては、自分の周囲にまったく問題がないと考えているときでも、自分の言動についてときどき周囲の人たちの意見や感想を聞いてみるべきだ。
自分の目で中から見るのと人の目で外から見るのとでは、当然のことながら、自分のイメージはまったく異なっている。
人から見た自分が世の中で通用している自分である。
自分を常に磨こうとしている男は、その点をよく心得ている。
いずれにしても、常に敵対的な態度や反応を示す人は、少なくとも自分に人一倍の関心を抱いている人である。
自分を敵視しているのは相手にとって何かと目障りになっているのかもしれない。
自分が相手の意のままにならないので、いらいらしているのかもしれない。
「かわいさ余って憎さ百倍」といわれているように、関心の度合いが強ければ、その内容がプラスからマイナスへと転じるのも簡単である。
関心の強さという点に焦点を当てたうえで、自分のほうからはたらきかけてマイナスの感情をプラスに変えさせることもできるのではないか。
もしかすると、自分のほうが相手を目障りになると考え、そのような接し方になっていたので、相手もネガティブな接し方になってきたのかもしれない。
人間の感情は相互的なものであるから、自分が思っているように相手も思っている。
どちらにしても、難癖をつけてくる人は、自分の言動をチェックしてくれる人である。
頼んでもいないのに、自分の粗探しをすることによって、自分をさらに向上させようとする結果になっている。
そのような人は煙たい人として本能的に避けようとするが、実際には自分のためになることをしてくれている。
煙たいと思うのは、その人がいると自分勝手に振る舞うことができないからである。
いわば自分のエゴのはたらきが抑止されるので窮屈な思いをするのだ。
それを乗り越えていくべく努力をすれば、自然に自分の言動について軌道修正をしながら、誰にも文句をつけられない道を歩んでいくことになる。
したがって、ワンランク上を目指す男は、自分の煙たいと思う人を避けないどころか、進んで周囲に置き、重用しようとする。
すべて自らの向上のために活用しようとする食欲さがある。
自分にとって嫌なものを、自分を磨きあげるために利用するのだ。