うっかり言葉で人に怨まれる

「感じのいい女性だなあ」と思っていたのに、何かの拍子に、その女性がぶかぶかとタバコを吸いながら、男性をこき下ろしていたり、聞くに堪えない会話で盛り上がっていたりする姿を見かけると、抱いていたイメージがガラガラと崩れてしまいます。

このような異性への幻滅は、男女ともお互い様のことなのでしょう。

やはり世の中には知らないほうがいいというものがあるということでしょうか。

 

本音や本性を知らないほうがいいというのは、上司と部下の関係でもいえることです。

部下が何かのへマをしたときに

「なんてことしてくれたんだ。お前のせいでオレの立場まで危ないじゃないか!」

などと、顔を真っ赤にして怒る上司というのは、やはりイヤなものです。

こういう自分の保身が最優先という心理はわからなくもありませんが、その本音がもろに出てしまっては、部下の心が離れてゆくのも当然です。

 

なかなか業績を上げない部下に、

「まあ、キミに期待しても無理だと思うけどな」

というのも、いわれた人はつらいでしょう。

「期待されていない自分」を指摘されたときの落胆は、その人にしかわからないものです。

 

何気なくいった本音、悪気のない戯れ言、冗談のつもりでも「半分本気」に聞こえるような言葉・・・いった人には罪悪感がなく、いわれた人だけが深く傷ついていきます。

あとになって、「いや、あれは部下を発奮(はっぷん)させるために」といいわけしても、部下は聞く耳を持たないといった心理状態になり、怨みの感情が少なからず芽生えているでしょう。

上に立つ人ほど「うっかり言葉」の影響力が大きいことを自覚し、いってはいけないひとことが口から出ないように気をつけたいものです。

残念なことに、相手が喜ぶ本音というのは、なかなかうっかりとは出ないものです。

 

妻に「いつもありがとう」というときは、思わず口から出た言葉ではなく、それなりの理由や覚悟があるように思います。

「いつもありがとう」が、ふいに出た本音だったとしたら、どの家庭も円満だろうと思うのですが日本人は本音で奥さんや旦那さんに感謝していても、なかなかその言葉がいえないようです。

そんなことは以心伝心という共通認識があるのか、口に出すと、「安っぽくなる」「何かの裏がある」「計算高く思われる」「ウソくさいと思われる」と思っているのかもしれません。

けれども、よくない本音は口に出さず、愛情や感謝などのよい本音は口に出すことを心がけたいものです。