大勢の人とゆるくつながっても、疲れるだけだ

最近、若い人たちの間で、何人もの人間が一緒に暮らす「シェアハウス」が流行している。

最初から何人かが集まって一軒家を借りるようなケースもあれば、不動産屋が用意したシェァハウス物件に入居するタイプもある。

こうしたシェアハウスでは、一つ屋根の下で、家族でも恋人でもない、ときには友人でもないアカの他人と一緒に生活をする。

そこにはもちろん、守らなければならないルールがある。

なぜ、自由気ままに暮らせる一人暮らしではなく、そのように面倒な「共同生活」を選ぶ人が増えているのか。

理由を聞くと「家賃が安くすむから」という経済的な理由のほかに、「誰かと一緒にいられるから」「知り合いが増えるから」「みんなとワイワイしているほうが楽しいから」といった答えが返ってくる。

 

とにかく若い人たちは、一人になりたくない、誰かとつながっていたいようだ。

だからといって、彼らの多くが濃密な関係を望んでいるのでもない。

一人の人間と一本の太い糸を共有したいのではなく、多くの人たちと軽い糸でつながっていることを望んでいる。

だが、そうした関係は長く続けるのが難しい。

とにかくみんなで行動したがる人間と、ときには一人になりたい人との間に温度差が出てくるからだ。

恋人ができたり転職したりして状況が変われば、一人、また一人と離脱する。

それは、ごく当たり前のことだが、残されたほうとしては寂しさが募るだろう。

すると、誰かを縛ろうともしかねない。

 

こうした傾向は、スマホの使い方にも表われている。

いまの若い人たちは、もれなく「LINE」をやっている。

LINEの機能を使えば、あるグループに登録したメンバーに一斉に連絡ができる。

学生なら「今日の二限目は休講だって」と誰かが発信すれば、みんながその情報によって授業の空振りを免れる。

 

ずいぶん便利なものができたなぁと思う。

昔は電話による連絡網しかなかったから、一つのことを短時間で大勢に伝えるのは難しかった。

とくに固定電話のときは面倒だった。

いまは、それが一分もかからずにできてしまう。

ところが、この便利なツールが、逆に面倒をこしらえてもいるらしい。

 

20代後半の女性が嘆いていた。

「この年になって、女子高生のグループみたいに、しょっちゅう仲間とやりとりをしなくてはならないのが苦痛です」

彼女は、同期入社の同僚や、学生時代の同級生などいくつかのグループとLINEをやっている。

そのうち、いずれかのグループの誰かがメッセージを送ってきたら彼女はそれに返信しないわけにはいかないのだそうだ。

LINEの場合、自分が送ったメッセージを、相手がいつ読んだかがわかるようになっている。

だから、受け取ったほうは何かしら反応しないと「○○さんたら、読んでいるくせに何もいってこない」と批判されるというのだ。

その批判は、やがて仲間外れといういじめにつながっていく。

 

ケータイのメールなら、その点、相手が読んでくれたどうか返事が来るまでわからない。

ときには、返信不要の連絡だってある。

LINEでの面倒事が、子どもたちの間で起きるのはわからないでもないが、いい年をした大人まで何をやっているのかと思う。

本当は、みんな、こうした関係に疲れているのではないか。

だが、なかなか自分からは「ほどほどにしよう」といい出せないでいるのだろう。

 

岡本太郎は、周囲との調和よりも、独自の芸術を追究する生き方をした。

彼は「友だちに好かれようなどと思わず、友だちから孤立してもいいと腹を決めて自分を貫いていけば、本当の意味で、みんなに喜ばれる人間になれる」といった。

多くの人たちと上手につながっているのは、たしかに大切なことだ。

さらに、いまの若い人たちは、むしろそうしたことに長けている。

まんべんなくつながっている軽い糸だ。

しかし、そのためにはいろいろと面倒なことが起きてくるのも避けられない。

そこまでして、多くの人とつきあいたいと思うのか。

100人の友より、4、5人くらいの友が最高なのではないか。