自分とお金の関係は、自分と他人の関係にそっくり

私の、若い友人が、こんなグチをこぼした。

「女房は、すぐその気になって、、、ぶら下がり健康器や腹筋を鍛える器具、エアロバイクと買い込み、いまは、そのほとんどが押入れの中で眠っているのです。そして、本来なら押入れの中にあるべきものが押し出されて一部屋を占領していますから、ぼくの居場所がないのです。まったく、簡単なセールストークに乗ってポンポンと買って、、、」

たしかに大変だろうと想像する。

しかし私には、心ひそかに同情することしかできない。

まあ、最初の一時は役に立ったのだろうから、、、と思えば、あきらめもつくのではないか。

 

ところが、何百万円もする宝石を買わされたり、何十万円もする英会話の教材のローンを組まされたり、ぼったくりバーで預金のすべてを引き下ろされたり、、、そんな事件を見かけるが、その当事者が家族の誰かであれば、そうそう家庭円満とはいかないだろう。

しだいにがまんできなくなり、心が離れていき、家庭崩壊、、、になるやもしれぬ。

お金のことをいうのはいやらしいと思うかもしれないが、「お金の管理と使い方」というのは、家庭においても、社会人としても、とても大切なことである。

「お金より大切なものがあるはずだ」

といわれればそのとおりだが、お金というのは、「ただそれだけのもの」ではなく、その扱い方に、その人の人間性があらわれるのである。

その結果、人と人との気持ちが離れていく、、、という事例はいくらでもあろう。

 

お金の扱い方がいいかげんな人は、おそらく、借りたものを返さなかったり、相手の都合を考えなくなっていたり、人の尊厳を傷つける言葉を知らず知らずのうちに吐いてしまうようになるのではないだろうか。

「お金と自分」との関係が、そのままの形で「人と自分」との関係に移行されていくのである。

だからこそ、お金は大切なのではないのか。